出張や旅行である程度の都道府県には行くようになって、国内は旅慣れしてきました。バス・新幹線・飛行機・電車などなど、まあ仕事で行くとなれば仕方が無い。
と、自分への言い訳をして遠くに行くにつれ自然に慣れてきます。
そうすると多少は、一人での行動も物怖じしなくなってきます。
例えば、旅行で沖縄のうみんちゅ達と船に乗り、いかついお姉さん・お兄さんと重たいボンベとおもりを付けて海に潜る。
海の中は恐怖と美しさで満たされています。ボンベが外れたらもちろんさよなら、急に浮上してもさよならです。とりつかれる気持ちも分かる。その日は曇りであまり海の状態はよくなかったみたいですが、僕にはなかなか言葉に出来ないほどの綺麗さでした。
どれだけ文章が上達しようが、文章では伝えられない美しさってやっぱりあるはずです。ゴーグルとボンベと重りを付けて、ピチピチスーツを着て体験しないと出会えない美しさなんですよね。
すこし話がそれました。
どんな恐怖にも段々慣れてくるものです。慣れるペースはやっぱり個人差があるので、僕の場合時間がかかってしまっていますが…
なぜ旅に出て気楽に海外に行けるようになりたいかといいますと、旅や体験には良し悪しがないのが素晴らしいところだと思っています。順調にいけば計画通りで満足するし、トラブルが起きれば話のネタになって満足する。パソコンやカメラには性能差がありますが、体験は比較できません。自分の頭の中にだけ残るものだから。
教養とは共感であるという言葉があります。教養が身につくほど、器量が大きくなり、自分と違う人の行動に対して目がつかなくなってくる。自己完結してくるようになるそうです。
運動をしはじめた人が何で運動しないんだと言ってしまう傾向(僕もあります)
旅行しはじめた人がなぜ旅行にいって見聞を広げないんだと言ってしまうこと
何かを勉強し始めてすぐの人が勉強してない人を怒ること
それはまだ、完全に理想になることのできていない自分を、自分よりやっていない人と比べてなら、優れているんだと考えてしまうからだそうです。まだ僕はこの段階にいるので、気をつけなければいけません。
言葉は重ねるほど、粘土を木材の芯にペタペタ貼り付けていくように、芯の部分が見えなくなり言葉は軽くなっていきます。(ほんとはこんな表現もない方がいいんです)
まだ若干恐怖心の残っている海外に対して、気楽にいけるようになりたい、少しでも旅慣れしたいな〜というのが今の目標です。
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